私の311
やたらと眠たい日だった。
朝、洗濯物を干してそのあとにガツンと睡魔に襲われてベットに入った。
火事があったらしくサイレンがあちこちで鳴り響く。
ヘリコプターも朝からずっと飛んでいた。
ベットの中でうつらうつらとしながら結局みんなが黙とうをささげている時間は眠ってしまっていた。
花火のなる音がしだして、いよいよ体を起こしてピットインに行く準備を始めた。
twitterを見たら、「黙祷」って文字がずらーーーーっと並んでいてなんだか気持ちが悪かった。
想うっさ、そういうことじゃないと思うのさ。
シャワーを浴びた。
今ごろ1年前は歩いて渋谷に行って、BEKKUの1周年パーティに参加していたなぁと思った。
ふと、9日にBEKKUに行って髪を切りたくなったのはそういう心理もどこかであったのか、なかったのか。
そんなことを考えながら、シャンプーをした。
短い髪は本当に楽だなぁ。
着替えて、髪を整えて南北線に乗り込んだ。
丸ノ内線に乗り換えて新宿3丁目に。
ピットインに着くと入場待ちのお客さんでごった返していた。
私のCDを制作いただいているレーベル関係のイベントで、バンマスが私のプロデューサー沢田穣治さんだったのでSTAFF入口から入ってあいさつをする。
南米帰りの江利川くんやら、写真を撮ってくれる三田村亮くんやら、知ってる顔がいてなんだか急にほっとする。
なんか、そわそわしてたからね。
髪型をみんなにいじられながらビールを一本呑む。
そんなこんなで演奏開始。
「これは政治集会ではありません。沢田穣治の声がけで集まった音楽家たちが、「あの日」から1年間に感じた言葉にできない思いをジャズに託して奏でる音楽の一夜です。」
頭の中で、いろいろな映像が浮かんだ。
東海大地震がきて、浜岡原発がやられたら、私の故郷はなくなるな、たくさんの知り合いが苦しむのだろうな。
東京直下型が来たら、この街はどうなってしまうだろうか。
そんなことを思ったり、被災地に行かせていただいた時に会った方たちを想った。
今何してるのかな。
あっという間に2部が終了。
大人のミュージシャンっていいね。
ゆだねられる。
NØ NUKES JAZZ ORCHESTRA in operation. 沢田穣治、芳垣安洋、岡部洋一、南博、黒田京子、馬場孝喜 、サキソフォビア = 井上"JUJU"博之、岡淳、緑川英徳、竹内直、越川歩ストリングス・クアルテット、アン・サリー
たくさん呑む気持ちにもならずに家に帰って、30分だけうくるをした。
古館伊知郎さんが
「私は日々の放送の中で、原子力災害における真実を追求していきます。もし圧力がかかって番組を切られるならそれはそれで本望です。」
と言い切ってくれたそうです。
追悼式での天皇陛下のおことば。
はじめのほうに「放射能の問題を克服しなくてはいけないという困難な課題がよこたわっています」
とおっしゃったそうです。
野田首相が式辞ではふれなかったこと。
私の311。
迷うことはない
おかえりなさい おかえりなさい
あなたの帰る場所はここにある
泣きなさい 泣きなさい わたしの胸で 泣きなさい
迷うことはない