さいきんじっかんしたこと。
たとえば悪口をいうこと。そして、それが同意されたりすると何だかほっとすることがある。
このとき、自分は守られているような気持ちになる。
でも、目先の快楽を選択することは、実は長期的な幸せにはつながらないのだという事。
長期的な幸せとは、例えば信頼関係であったりね。
たばこをぱっとやめられた人のきっかけが、「病気」だったりする。
健康を得たいと思う、長期的な快楽に目標を設定した時に、快楽に流される。楽な方へ流される厄介な気持ちから解放されるのかなぁと思う。
タバコとか、そんなんじゃなくてね、最近少しだけそこが成長できたのかなぁと実感することがあって。
年をとってきたのか、自己顕示欲が少なくなってきたからなのか。
ともかく、その時は苦しい選択でもその先の幸せを実感した今は
あぁ、こういう事なんだなぁ、こういうための秩序なんだぁと実感したのであるですよ。
というメモ。