依存
東京というところは、いや東京に限らないのだけれど、物質的なものも勿論、精神的なものも溢れている(溢れ過ぎている)と感じます。
だから依存するものが多く、本来の自分に気付けない事もあると思います。
誰にも会わず(犬はそばにいたけど)テレビもなく、街灯もないところに住んでいた時に「黙々と生きていた」のが少し不思議に思うことがあります。
目的としていた制作活動も意欲が枯渇したのか、はたまた何かにとりつかれていたのか、とにかく「欲」ってものがなくなってしまったんです。だからただ、生きるために生きてた。
その時に好きだったのが、横にまがった大木に登って枝に座り耳をすます事でした。
風と葉と動物の音以外は何も聞こえなくて目をつむると空間を感じられて気持ち良かった。
今、住んでいる東京ではお蕎麦屋さんでもJAZZが流れてるし、今居るコーヒー屋さんではチンケな機械音で出来たBGMが流れています。寂しがり屋さんなんかな?
山では考えられない位に音がたくさんありすぎて、耳をすますことを忘れてたなぁって。
ヘッドフォンを外して耳をすます。
怖いくらいに気付かなかった音たち。
後頭部が何だか痛くなる。
面でしか感じていなかった日常。
もうちょっと空間を意識しようと感じました。