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Elitsa & Stoyan - Water


水の中では魚と水と別物でない。
ほとんど水の一部として、水の変様態として存在する。

たとえば海の中で細長いカマスの群れをみると、
魚という実体が集まって泳いでいるというより
海水に等間隔に刻まれた透明なスリットパターンが
ゆっくりと移ろっていくように見える。

透明な海水のパターンが、一時的に魚の群れを演じている。
水は魚の形をまとってはいるが、魚になりきってはいない。

あらゆるものを「水の変様態」として据えることができる。
樹木も人も70%が水、
トマトやレタスは95%が水・・・。
でも、物質的に水から成り立っているというだけではない。

生命世界は、つねに水のことばに従い、
水を「擬態」しようとしている。

魚のかたちも、私たちのからだも、そうしてできた。
流れや渦といった水の造形を引用しながら、
私たちの心臓や胃腸のかたちが決定されてゆく。
脳だって、キノコ雲などと同じ、水の熱対流のかたち。
へその緒、つむじ・・・。
あらゆる場所に、水の痕跡が残る。


Posted on 2007年11月 8日(木) by tamamix

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